【男性育休体験記】有給休暇とパパママ育休プラスを活用して柔軟に育休を取得した、とあるパパさん(13ヶ月間取得)

男性の育休体験記

男性育休は人それぞれです。家庭環境や職場環境等に応じて育休のあり方は異なってきます。

そんな多様な男性育休について、男性育休取得者の体験記を通じてお伝えしてしていきます。

今回は「とあるパパさん」の体験記です。

プロフィール

・名前:とあるパパ
・具体的な育休取得期間:有給休暇も活用しながら、2回取得。
1回目:2019年4月上旬から5月連休明けまでの約1ヶ月間→有給休暇を活用
2回目:2020年4月上旬から2021年4月上旬までの約1年間予定→育休制度を活用
・居住地:東京都
・職業:会社員(1001人以上)※夫婦共働き世帯です。
・育休取得時の家族構成:パパ33歳、ママ32歳、長女(育休1回目の時:0歳、2回目の時:1歳)
・Twitter:https://mobile.twitter.com/toarupapa1

育休を取得した理由

私は育児に集中するための休みを2回取得しました。1回目は産後に有給休暇を活用し、2回目は子供が1歳になる前日から「パパママ育休プラス」制度を使用しました。取得した理由はそれぞれ少し異なります。

1回目の取得理由

1回目の休みは妻の産後1ヶ月間でした。この時期に「取得しよう!」と決断した理由は「妻の産後ケア」ですが、特に重視していたのは「妻の睡眠時間の確保」でした。

我が家では、出産前から「トツキトオカ」という、妊娠・出産支援アプリを活用していました。妊娠・出産に関わる情報はアプリを通して見る程度でしたが、赤ちゃんのケアのために昼夜問わない体制になること、産後1か月は母体も回復する必要があるということを知りました。そうなると、回復に必要不可欠な(妻自身の)睡眠時間確保と娘のケアを母親一人で担うのは不可能だと思いました。

また、私が仕事をしたまま、夜間の娘のケアをするのも、日中の仕事に影響が出てしまう、ということから、私が仕事を休み、妻のケアと子育てにコミットすることにしました。

2回目の取得理由

2回目の育休取得に関しては、実は、当初は取るつもりはありませんでした。しかし、妻の米国大学院留学が確定したことをきっかけに、その考えが変わりました。理由は二つあります。一つ目は、我が家では「できるだけ家族全員で一緒に過ごすのが良い」という共通の考えを持つに至ったこと、そして二つ目は、「私自身が妻のキャリアップを応援したい」ということです。一つ目の理由については、私は娘が生まれる前に海外に単身赴任していたことがあるのですが、その時に家族が一緒にいることの大切さを実感した、ということが大きい要因です。

二つ目の理由については、産前・産後の大変な時期も目標に向かって努力を続け、育休明けには留学の切符を手にした妻への純粋な尊敬の気持ちがあったためです。さらに、異国の地で勉強と育児を両立することは非常に困難であることを、産後一か月の育児・家事経験、そして、仕事復帰後の育児・家事・仕事の両立経験から体感で理解していたためです。

妻が私費留学であることも相まって、私が休業することによる世帯収入減少というデメリットに対する不安はありました。ただ、私自身は、今のままの延長で人生を歩んでいくよりも、米国留学について行くという経験の方が、妻だけでなく、私にとっても、その後の選択肢の幅が広がるのではないかと思いました。また、世帯資産は大幅に純減するけれども、1年間の留学をまかなえるだけの貯蓄などがあったことも、育休を前向きに考えられる要因だったというのが正直なところです。

以上のような理由から、育休を取得する決断をしました。

今思えば、こういう決断ができたのは、人生100年時代や副業・兼業、自分のやりたいことで生きていく、というような社会的な機運の高まり、そして私の周りの友人・知人の中でも、既に従来のサラリーマンキャリアのみに縛られない生き方を実践しているのを間近でみていた、ということも強く影響しているのかなと思います。

そのような形で育休生活が再スタートしたものの、コロナ禍の影響で留学が延期になってしまいました。しかし、育休は継続しようと思いました。それは、毎日子供と向き合うことで、「今この瞬間の幸せ」をもっと感じていたいということ、そして、この、「今この瞬間の幸せ」をこれからも大事にし続けるために、これからの自分のキャリアをどう位置づけようかと、もう少し考える時間が欲しかった、ということがあります。

このような経緯を経て、現在、妻は主に在宅でフルタイム勤務、私は自宅で育児家事をするという生活を7ヶ月間(執筆時点)継続しています。

育休取得プロセス

家族とのやりとり

1回目の取得については、私自身が専用アプリなどを通じて産後1ヶ月のケアが大事だということがわかったため、自分から「育休を取るね」ということを妻に提案しました。その点について妻からも異論は無く、スムーズに進んだと思います。

2回目の取得については妻と議論しました。ただ、議論の発端が育休取るか取らないか?では無く、妻の米国留学期間を家族としてどう過ごすか?というところからスタートしました。その中で、一番現実的な選択肢が私の育休取得でした。米国についていくための合理的な方法を夫婦で検討していく中で、自然と合意形成を図れたと思います。

会社とのやりとり

1回目の取得については、取得の1ヶ月前頃から、部長やプロジェクトメンバーなどに育休取得の意向を話していました。私が育休を取るタイミングは、ちょうど仕事のキリの良いタイミングだったこともあったので、特段問題なく、取得することができました。手続き的な側面で言うと、1ヶ月の育休を取るにあたって、育児休業制度を活用するには、申請の手間や1ヶ月間休業扱いになってしまうと言う点などでコスパが悪いと思い、有給休暇を活用しました。

2回目の取得については、3ヶ月前くらいから取得意向を伝えていました。実はこの時期、出向先で常駐業務をしており、それを中断して育休を取らざるを得ない状況だったため、取得申請にあたっての心理的なハードルも高かったと記憶しています。やりとりのプロセスを概観すると、親元会社の人材開発担当の部長に育休を取る旨を相談→出向先の受入担当部長への相談→代理の出向人材の選定&決定→出向先への連絡と承認→代理への引き継ぎ、と言う流れでした。

幸いなことに、(少なくとも表向きには)育休取得を拒否されるような雰囲気はありませんでした。

ただ、一貫して誠実に対応することは心がけていました。それは、出向先での仕事仲間とのコミュニケーションや、上長などへ説明する際の言葉選びというところから、代理人材の検討、プロジェクトに支障が出ないようにするための対応策の検討などです。自分が抜けなければ発生することがなかった調整コストに対しては、できる限りで積極的に対応していました。とはいえ、水面下では、会社同士、部長級以上のレベルでもいろいろな調整をしていただいており、出向先・親元の会社には非常に感謝しています。

育休中の生活

家事や育児について

【産後1ヶ月間】

とにかく、自分ではなく娘のサイクルに適応することが一番大変だったと記憶しています。恥ずかしい話ですが、我が家での娘との共同生活が始まった2日目で、夜間のケアが辛すぎて、妻と、手伝いに来てくれていた義母の許しを得て日中リフレッシュするために一人で外出させてもらいました。また、ストレス性の帯状疱疹にもなってしまいました。ストレスが表出することが今まで無かったので、私にとっては相当なストレスだったのだと思います。

この時期、私がやっていたことは、家事全般と夜間の授乳&おむつ替えと寝かしつけです。この時期は、とにかく妻には睡眠を確保してほしかったので、夜は全部私が対応していました。寝る際も、娘・私・妻、という配列でした。「男性は赤ちゃんの泣き声で起きられない」といわれることがありますが、あまりそういうことは感じなかったです。普通に起きれました。当然、日中は眠くなりますので、適当に睡眠を確保して、起きた時間は家事をこなすという感じでした。

家事に関しては、もともと一人暮らしが長かったこともあり、苦労するということはありませんでした。日中家事をしている間は、娘のケアは妻がしてくれていたので、両立で困るということもありませんでした。

ちなみに、娘の沐浴だけは、私が必ずやるものという風にいつの間にかなっており、逆に妻は怖くて沐浴が出来ない、というようなことを当時言っていました。

【育休2回目の1ヶ月~3か月目】

本当の意味で大変だったのはこの時期からでした。この段階では妻は在宅勤務(コロナの影響)という形で職場復帰していました。お風呂自体はその日によって妻と分担していましたが、それ以外の育児・家事は基本私がすべて対応していました。

この時期大変だった要因を振り返ってみると、「ごはん作りを張り切りすぎた」ことと、「娘との時間の過ごし方が定型化されていなかった」ことが大きかったかなと思います。

ごはん作りを張り切りすぎたこと

「ごはん作りを張り切りすぎた」というのは、朝・昼・晩としっかりした献立を考えて、食材調達をして、調理して、片づけて、ということを毎日行っていたということです。娘が誕生するまではそれでも大丈夫だったのですが、常に娘の機嫌を取りながら、食材調達や調理をすることは本当にしんどかったです。ごはん作りが思うように進まないので、勝手にイライラが募ってしまうし、そのイライラを娘にぶつけそうになってしまって、自己嫌悪に陥る、という、完全に負のサイクルでした。ある日、夕飯食べ終わった後に、あからさまに疲れ果てていたとき、妻に「ごはん作り頑張りすぎでしょ」と言われたことがありました。最初は、「皆のために頑張ってんのに」とショックの気持ちが大きかったのですが、結局それは自己満でしかなく、頑張りすぎるせいで自分が勝手にヘトヘトになり、一番大切な育児にちゃんと向き合えなくなるのは本末転倒だと考え直す大切なきっかけでした。

娘との時間の過ごし方が定型化されていなかったこと

「娘との時間の過ごし方が定型化されていなかった」ことについては、この時期は特に、コロナで外出もしにくい時期だったこともありますが、娘と二人きりで過ごす時間が長くなり、その時間が少し退屈に感じてしまっていたということです。退屈になりたくなかったので、近場を散歩したり、外出自粛解消後は、電車で少し遠出をしたりしていましたが、毎日のことなので、それを考えるのもだんだん疲れてくる、という感じで、何か打開策を考えなければなぁと思っていました。

このように書いていますが、決して、娘と向き合うことが退屈だ、ということではありません。どんどん成長していく姿を間近でみられることは本当に幸せです。単に、一緒にいる時間が長すぎたために、大人としてはどうしても退屈に感じてしまうこともある、ということです。

【育休2回目の4ヶ月~現在】

引き続き、育児・家事のメインは私がやっていましたが、この時期になってくると次第に

「子どもの成長・変化スピードに慣れて」きました。具体的には、ごはんの食べさせ方など、この前通じていたことが、今日は通じない、みたいな状況が来ても、イライラせずに、すぐに切り替えて新しい対応策を考えられるようになってきた、ということです。

また、この時期から、平日に娘を幼児教室に通わせるにようになったことで、半日をルーティンに出来たことも、家事・育児が少しずつ楽になってきた要因の一つかなぁと思っています。(もちろん、毎日素直に出発してくれないのですが、それでも、何もないよりは、やることが決まっているだけで、こちらとしては楽になりました)。それと同時に、1日1日の過ぎるスピードが早く感じるようになってきました。

また、ずっと鬼門だった夕飯も、最近は「一汁一菜」という風に定型化することで、メニュー検討、食材調達、調理、片付けの負担を減らすことに成功し、徐々にうまく回るかな?と思えるようになってきました。

家事や育児以外

1回目の育休の時は、1ヶ月限定ということ、育児自体がはじめてだったこともあり、基本的には100%育児と家事にコミットしていました。そもそも、他のことをやる時間的、精神的余裕はなかったと記憶しています。

2回目の育休の時は、1年間という長期戦ということもあったので、家事や育児以外の、いわゆる自分の時間を確保することは意識しました。主な活動は、毎朝1時間運動することと、娘がお昼寝などをしている時間を活用した、育児書の読み漁り&アウトプットです。

毎朝の運動は、大体、5時くらいに起床して、そこから約1時間、外を走ったりジムで筋トレをしていました。目的無しに継続する、ということが苦手だったので、SPARTAN RACEという障害物レースイベントへの参加を目標に体力づくりをしていました(結局、コロナによってイベント開催には至っていないようです)。

また、育児書の読み漁り&アウトプットは、もともと読書好きで育児にも興味があったので、良い機会だと思い始めました。アウトプット思考で読んだ方が記憶に残りやすいため、音声配信という形式で少しずつ撮り溜めています。

我が家の場合は、夫婦どちらも同レベルで育児家事ができるので、お互いに気兼ねなく自分の時間を確保することができているかなと思っています。妻自身も、「今週の土日で友達と登山してくるわ」みたいな感じでよく遊びに行っています。なので、私も、「今週末、ちょっと友達フットサルしてくる」とか「疲れたから整体行ってくるね」みたいなことをしょっちゅうしています。

旅行もコロナに配慮しながら、いろんなところに行っています。妻は場所選ばずにフレキシブルに働けるため、平日に家族で温泉などに行き、妻はテレワーク、私は娘と遊ぶ、という感じで過ごしていました。

育休中の大変だったエピソード

育休中ではないのですが、娘が4ヶ月になって、初めて二人で水族館に行った時に、哺乳瓶の乳首部分だけ忘れてしまって非常に焦ったことがありました。乳首が無いと娘はミルクを飲むことができないため、その時は、とにかくGoogle マップで近くの薬局を探し、哺乳瓶探索をしました。幸い、乳首が見つかったので、なんとか授乳することができましたが、初めての遠出だったので、当時はかなり焦った記憶があります。

また、娘が同じく4ヶ月くらいの頃、娘が急性腸炎になり、さらに我々夫婦も感染してしまった時も辛かったです。家族全員で高熱&嘔吐下痢のような状態になってしまい、育児も家事も朦朧としながらやっていました。翌日に病院に行ってことなきを得ましたが、そこまでは本当に地獄のようでした。

2回目の育休の時に大変だったのは、ちょうど、紙おむつのサイズがSからMになる頃だったと思いますが、二人で動物園に行った時に、たまたま残っていたSサイズのおむつを履かせており、オムツ替えのタイミングをミスって自分の服も含めてびしょ濡れになったことです。

このように書かせていただきましたが、育児そのものに関して、きわめて大変だったエピソードというのは、あまり記憶に残っていません。。それは、娘の性格などに助けられたという側面も多分にありそうなのですが、私自身も、育児する際のマインドセットには出来るだけ気を付けていました。それは、「積極介入せずに近くで見守る」ことや「大人の都合に無理に合わせない」ことなどです。仕事をしていたころよりも時間に追われにくい育休だからこそ実践しやすかったなぁと思っています。

育休を振り返ってみて

2回目の育休を取得して7ヶ月経過していますが、振り返ると、あっという間だったなぁという感じがします。それだけ、育休というのは、自分にとっても新しい体験や学びが多いものだなと思っています。そして、何よりも、娘の成長を一番近くで見守れていることの幸せというのは、本当に何にも変えがたいものだと思います。

また、社会人になってから8〜9割仕事のことを考えていた自分にとっては、育休を通じて、仕事のことを考えない期間を長く取れたことも大変良かったと思います。おかげで、これから先の人生を歩む上で、自分が何を大事にしたいか、改めて認識することができました。

来年度からは復職しますが、正直、育休前のようなパフォーマンスをすぐに出せるか不安な部分はあります。一方、育児・家事・仕事の両立に関してはそこまで悲観的ではなく、妻と協力しながらうまくやっていけるのではないかと思っています。それは、育休を取得して、育児・家事にフルコミットしたことで、育児・家事の各タスクに対して「重要度」や「優先度」が分かってきて、それにより、自分が投入すべき労力の目安をイメージしやすくなってきたからです。

これがわかれば、仕事でも、育児・家事の大変さを織り込んだ形でスケジュールや実施方法を検討することが出来ると思いますし、必要に応じて、妻との役割分担や、家事代行などの外部サービスを使うという判断もしやすくなると思っています。

もちろん、育児も仕事も様々な状況変化があるため一筋縄には行かないと思います。ただ、育休取得前よりも、仕事の生産性向上に対するモチベーションが向上したことは確かなので、ある程度余裕を持たせた仕事のスケジュール設定や、これまで属人的にやってきたような業務をチームでカバーする、などの改善を行っていきたいと考えています。

次に子供が産まれたら育休を取得したいか

育休という制度を活用するかはわからないですが、次の子供に対しても、今と同じくらい育児に重きを置いた生活をしたいです。

これから育休を取得する人へのメッセージ

育休を取ったからと言って、一人で戦う必要もないですし、時には気晴らしに遊びに行ったって全く構わないと思います。家事はいかに楽するか、育児はいかに楽しむか、というマインドで取り組むとどんどん良い方向にいくと思います。

以上、「【男性育休体験記】有給休暇とパパママ育休プラスを活用して柔軟に育休を取得した、とあるパパさん」でした。

とあるパパさんも経験した男性育休の“うつうつ“とした気持ちに関する記事はこちら。

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