【男性育休体験記】「アラフィフで初めての子育てのため育休を取得」りすパパさん(6ヶ月間取得)

男性の育休体験記

プロフィール

・名前:りすパパ
・現在の年齢:アラフィフ
・具体的な育休取得期間:2018年10月〜2019年3月
・居住地:大阪府
・職業:公務員(育休取得当時)
・育休取得時の家族構成:パパ アラフィフ、ママ アラフォー
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育休を取得した理由

まずは自己紹介から。

僕は高校卒業後、地方公務員になって、しばらくは実家から通勤していましたが、長くひとり暮らしをして、気ままな独身生活を長く過ごしてきました。

結婚したのはかなり遅くて、45歳のとき。

妻も若くはなかったので、結婚翌年から不妊治療を始めました。

検査や治療の結果に気持ちは振り回され、失敗する度に二人で落ち込む、の繰り返し。お財布も心も(妻は体も)痛い日々。

丸2年でやっと妊娠。

この時点で妻はアラフォー。立派な高齢出産です。

予定日は9月初旬!

育休取得を考えた最初のきっかけは、妻からの「育休取って」の一言でした。

夫婦の環境を考えてみると、お互いの両親は高齢すぎて頼れない、妻は体力がない方だからワンオペ育児なんてしたら産後うつになっちゃたりして…と、とんでもないことになる!

私の育休取得がマストと考えました。

育休取得プロセス

育休を取るぞ!と決めたものの、さて、誰に・いつ・何を相談しよう…。

間の悪い事に、4月に勤務地の異動を伴う人事異動がある事がほぼ確定していたので、まずは子供が出来たことを2月中旬のかなり早い段階で当時の上司に伝えました(まだ妊娠初期であったため、この時点では育休の取得までは申し出ていませんでした)。

予想通り4月には人事異動があり、勤務地はこれまでより遠く、片道2時間弱の職場になりました。

人事異動後はバタバタして、結局GW明けに「生まれてから保育園に入園までの年度内の育休を取得したい」と上司に伝えました。

上司からは、反対はされなかったものの、はっきり言っていい顔はされませんでした。

公務員は、表向きは男女平等で色んな制度も整っているように見えますが…それをみんなが理解したり推進したりしているかと言うと…全然そんなことはなく、昔ながらの考え方がまだまだ主流です。

取得時期や期間について、この後、何度も再考を求められました。また、周囲への公表は上司から行うため、公表は控えるように、とも言われました。い、息が詰まる!

そして、育休をいつから取るか…これを決めるのがとても難しかった!

本当は、生まれた直後から取得したかったのですが、予定帝王切開でもない限り生まれてくる日なんて分からない。そこを明確に出来なくて、上司との話がなかなか決着しなませんでした。最終的には、出産していると確実に言える日を選んだ結果、9月初旬の予定日で1ヶ月間の里帰りを踏まえて、10月1日から年度末までの6ヶ月間、育児休業を取得することに落ち着きました。

ただ、これは、これから育休を取得する皆様にはお勧めしません。出産直後が1番大変だからです!

是非、出産直後から育休を取得してください!

男性も産休→育休の流れがあると更に育休取得が増えるのではと思っています。

育休中の生活

家事や育児について

息子が生まれたのは予定日より少し早い8月末。

ここでも色々イレギュラーなことがありました。

まずは、自然分娩の予定だったはずが緊急帝王切開に!

次に、退院後は妻の実家に1か月ほど里帰りする予定だったのですが、里帰り1週間後に義母が病で入院。それで、産後2週間目に妻と赤ちゃんが自宅に戻ってきました。

ここから月末までは仕事をしながら、家事や子育て!

この時期も時間の許す限り、妻に寄り添っていたつもりです。

ですが、振り返ると、全然足りてなかったなと思います。

この年は業務量が例年よりも多く朝7時半に家を出て、帰るのは22時を過ぎることもしばしば。家ではヘロヘロの妻と赤ちゃんが待っています。

後から聞くと、生後2週間検診で体重が増えていないこと等、妻は相当思い詰めていたようでした。

赤ちゃんが寝ても、授乳のこと・赤ちゃんの栄養のことについて検索したり本を読んだりで全然休めていなかったそうです。ここまで深刻に妻が悩んでいたとは思いませんでした。

そして、実質の育休スタート前日となる9月28日(金)。22時前にやっと家に帰って、これからいよいよ育休が始まるんだ、と感慨にふけりながら晩ご飯を食べていると、妻からヘルプの声!

赤ちゃんを見ると、お尻から膝までウンチまみれ!ウンチは盛大にオムツからあふれ、着ている服、それからおくるみまでベトベトです。ここまでの大洪水は初めてでした。

僕は汚れたものを手洗いする係を仰せつかり、いきなり育休の洗礼を浴びることになりました。

そして、10月1日から、正式に育児休業に入りました。

朝起きた時は、やった!やっと今日から育休だ!新米パパ、頑張るぜ!と、解放感とこれからの生活への希望がどっと押し寄せてくる感覚で、武者震いがしました。

ですが、育休初日の感想は、育休ってこんなにしんどいの、自分の時間ゼロ、育休取って失敗したかな…でした。

育休に入る前にも、子育てしていたつもりでしたが、何もできない自分に自信喪失…。

それからは、オムツの替え方から、ミルクの作り方(うちは混合育児でした)まで、あらためて妻に教えてもらいながら、僕の育休がスタートしました。

僕の想像していた育休生活は、子供のお世話をしつつ、家事を妻としながら、空いた時間に読書やテレビを見て…という感じをイメージしていたのですが、実際の育休生活は「子供の生活リズム」に合わせて生活することでした。

これまでも、夜中の授乳にはほぼ一緒に起きていたので、育休前後で生活のリズムは変わらないものと思っていました。しかし、24時間、赤ちゃんに生活リズムを合わせ続けるのは、思っていたものとは違っていました。

しかも、その生活リズムは、赤ちゃんの授乳と睡眠を基本とするので、自らコントロールすることが全くできず、生活リズムを合わせ続けることにストレスを強く感じました。

実際には、子供のミルクを作り、オムツ替えをし、寝かしつけをして、それらをノートに記録して、あれ?、もうミルクの時間になったよ!ミルク早く!ゲップしたかな?ノートも書いて!僕らのご飯を作らないと!片付けも!沐浴!また泣いてる!寝かしつけ!!

あっという間に、深夜。気づいたら、暗い部屋で泣いてる我が子を抱っこして寝かしつけしてる僕。なかなか寝てくれなくて、部屋の中を歩き回ってみたり、スクワットよろしく上下に揺らしたりしてみたり…。

こんな感じで、1日15回ほどオムツ替えをし、ぐずった時にあやし、飼い猫の世話をしたりしていると、あっという間に1日が終わってしまいます。

しかも、1ヶ月検診の結果、体重の増加が芳しくないと指摘を受けて、要再検。妻は帝王切開の傷も癒えない中、体力的にも精神的にもしんどかったと思います。母乳育児のつもりが混合育児になり…そんな不測の事態もありながら、育休の日々は進んでいくのです。

こんな感じでスタートを切った僕の育休でしたが、1か月もする頃にはだんだんと自分の役割にも慣れてきました。

それでもまだ戸惑うこともあるし、思っていた以上に大変でしたが、買い物や妻の受診、育休明けに向けた保活なども、僕がいることで分担できたし、妻の負担も少しは軽くなったのではないかと思います。

育休2ヶ月目には、大きなイベントとして、「お宮参り」と「お食い初め」がありました。子供が生まれてからしばらくの間、義母が入院していたこともあって、その回復を待ち、同じ日に行うことにしました。

いつ、どこでするのか?

私がアラフィフということは両親もまた高齢なので、こうしたイベントにあまり負担にならないように参加してもらえるよう気をつかいました。特別なことはしていませんが、僕と妻の両親ともに参加してもらうことが出来て、本当に良かったです。

また、その準備のため、妻にはお宮参り数日前に美容院に行ってもらう時間を作りました。こんなことが出来たのも、育休のおかげだったと思います。(ママの感想「子供から長い時間離れて過ごすのは出産後初めてだったので少し不安は感じましたが、美容院で過ごした時間は、ママ業から解放されて、自分のためだけに時間を使うという贅沢を堪能させてもらいました。」)

育休3ヶ月目には、育休明けに向けて、認可保育園の申し込み。僕の住む地域では翌年4月からの認可保育園の入園申込みは、毎年12月に行われます。

出産前から見学に行き、出後2ヶ月頃からも見学に行き、市の大きい認可園から小規模園まで、合計10か所ほどの入念に見学をしました。それぞれに特色があるので、それらを比較して、育休明けの生活を想像しながら、僕ら夫婦なりの優劣を付けていきます。

認可保育園の選考は、第6希望まで申請書に記入でき、ざっくり言うと、勤務時間や保育園に通う兄弟の有無などの条件によって点数化され、得点順に入園枠が振り分けられます。

最初は、「とにかくどこかの保育園に入れないと職場復帰できない!」と思って、車での送迎も含めて、第6希望までびっしりと保育園を書いて申請書を提出しました。

ところが締切直前になって、妻から提案があり、希望園を自宅から徒歩数分、市内でも一番人気で本命の1か所だけに絞ることに変更しました(具体的には、最初の1年(0歳児クラス)は認可園に拘らず近くの認可外保育園にお世話になって、「1年以上の待機」「認可外保育園」での加算をもらって、翌年の1歳児クラスで本命園に入園する、という作戦。また、この1年で市道の改修が行われた結果、渋滞が発生するようになり、車での送迎に当初の想定より倍以上の時間を要することになったため。妻から提案を受けた際には落選の可能性が高くてすごく迷っていたけど、この選択が後々、我が家にとって最高の選択になりました。)

この結果は、2月上旬に知らされることになっていて、それまでは、育休明けにどんな生活を送ることになるのか、具体的には決まりません。仕方ないんだけど、なんとも、もどかしい…。

育休4か月目を迎える年末年始も、僕と妻の実家に行く以外は、のんびりと正月を過ごすわけではなく、ただただ毎日、子育てをして終わりました。

普段と違ったのは、僕の実家に行く時に渋滞に巻き込まれる事なく往復できたことくらいです。

育休5か月目になり、幸い赤ちゃんの体重も生後1、2ヶ月の頃のことを思うと嘘みたいに順調に増えてきました。

しかし、月齢が進むとにまた新しい悩みが出てくるもので、育休5か月目の悩みは大きく3つ。

1つ目は、「時間割」(ママ主導で授乳の時間をコントロールすることで赤ちゃん自身の持つ生活リズムを作る育児法)を続けてきたおかげで、かなり長く寝るようになったけれど、まだ、夜通しは寝てくれないこと。必ず1度は、授乳又はおむつ替えで一定時間起きてしまう。朝まで寝てくれるようになったら、ずいぶん楽になるんだけどなぁ。

2つ目は、ギャン泣きの声が体の成長に合わせて、どんどん大きくなって、また、反り返る力も強くなっていること。ギャン泣きになると手がつけられなくなることが出てきて、こっちが疲れているときにこの泣き声を聞くと、イライラしてしまうことがある。特に、眠い時、ウンチの前、ミルクを飲んだ直後はなぜか機嫌が悪いのです。

3つ目は、離乳食のこと。最近僕らの食事に興味を示してよだれがダラダラ出たり、食べ物に手が伸びたりしてきたので、5ヶ月目を迎えた頃そろそろ離乳食を試してみることにしました。最初は教科書通り「お粥」から始めてみたが、これがなかなかうまくいかない。すぐに口から出してしまったり、すぐに口を閉じたり。こればかりは、「慣れ」が大きそうなので、気長に取り組まないとなぁ。

2月中旬、市から認可保育園の合否通知が届き、予想通り結果は落選。待機児童です。

少しだけ奇跡を期待していたので、残念な思いはもちろんありました。

でも、最初の1年は認可外保育園にお世話になって、「1年以上の待機」「認可外保育園」での加算をもらって、翌年の1歳児クラスで本命園に入園する、という作戦に変更したので、そこまで落ち込むことはなく、認可園にはまた来年チャレンジしよう!という気持ちになりました。

保育園に加えて、4月からの職場復帰に向けて準備を始めました。まず、育休直後に済ませておいたファミリーサポートの提供会員と面談をしたり、いざという時のためにベビーシッターや病児保育の登録をしたりしました。

そんな復職に向けた準備を進める中、生後6か月となる子供は大きな成長を見せました。睡眠時間がずいぶん延びて、ついに寝返りをするようになりました!

その他にも、遊びの中で予測をするようになってきて、こちらがしようとすることを予測して笑ってみたり、その予測通りにならないように「駆け引き」のようなものをしてみたり。6ヶ月の子供がこんなこともできるのかとびっくりしました。

そうこうしているうちに3月となり、職場復帰の時期が迫ってきました…復職の足音が近づくにつれて不安、不安、不安の毎日。しかし復職前日の朝、起きたときにはそれが少しマシになっていました。

というのも、一つは、いくら不安に思っても状況は変わらないし、もう子供のためにがんばるしかないと思えたこと。もう一つは、日本は少数派がとかく生きにくいと言う記事を読んだこと。僕の選択は相当ニッチな選択のはずなので、他人にはなかなか理解してもらえなくて当たり前なのだと割り切れました。

きっと他にも大変な思いをしながら子育てをがんばっている人がいる。例えば、身近な存在では妻!自分もその中の1人でありたい。

そんな思いの中、4月1日に職場復帰、保育園の登園を迎えることになりました。

家事や育児以外

育休前は隙間時間に趣味も楽しみたいと思っていたけど、その時間はほとんど持てませんでした。また、公務員には、職務専念義務というものがあって、育休中は子育てに専念するべきという「縛り」のようなものを感じていて、他のことをしようとはあまり思いませんでした。

そんな中で、子育てについての資格を1つだけ取ることができました。「ベビーサインアドバイザー」という資格です。

「ベビーサイン」とは口の発達が未熟で、まだ話ができない赤ちゃんと、簡単な手話やジェスチャーを使ってコミュニケーションをとる育児法です。例えば、機嫌が悪い時に、赤ちゃん自ら「ミルクが欲しい」なのか「おむつ替えてほしい」なのか教えてくれたら…お世話がすごく楽になると思いませんか?

「ベビーサイン」のことを僕は知らなかったのですが、妻が妊娠中に知って、やってみたい、と言い出しました。生後3か月弱でプレベビーサイン教室に通い始め、その後ベビーサイン教室にも通いました。勉強していくと、おしゃべりできない赤ちゃんと意思疎通が図れるってすごい!と感じて、せっかくなのでアドバイザーの資格を取得することにしました。

育休中は子供がサインを出すことはなかったけれど、そのうちベビーサインを出してくれる日が来ると信じて、こちらがサインを出し続けました。後日談ですが、1歳を迎える前には、ベビーサインが出てくるようになり、その後も100を超えるサインを出しておしゃべりをしてくれるようになりました。

育休からの復職

復職前の会社とのやりとり

もともと、仕事以外のことに関しては、コミュニケーションの取りづらい職場環境だったこともあり、職場復帰にはずいぶん不安を感じていました。そのこともあり、できるだけスムーズな職場復帰になるよう心がけたつもりでいます。毎月必ず一度は、上司に現状の報告をメールなどで行って、保育所入所の事や育休中の生活のことなどを伝えるようにしていました。後から思うと、職場からは特に連絡をもらうこともなく、こちらからの一方通行だったように思います。

復職後の仕事

職場復帰にあたっては、保育所への送迎を私が行うことになっていたため、時短勤務での復帰になりました。復帰した職場はもともといた職場でしたが、担当する仕事内容は変わりました。男性の時短勤務がかなりレアなケースであり、職場からは歓迎されていない雰囲気を復帰直後からひしひしと感じることになりました。新しく担当した業務には一生懸命に取り組みました。でも、評価されることもありませんでしたし、高い結果を出すには時短勤務では物理的に難しいと感じました。

コミュニケーションが取りづらい職場環境で時短勤務を続けていくことに疲れて、1年経った頃、配属先の変更をお願いしてみました。しかしその希望が叶うこともなく、最終的には、思い切って転職することを決意しました。

復職後の家事や育児(復職前に思っていた通りに家事や育児に取り組めているか等)

復帰後は時短勤務を選択したため、送り迎えを含めて家事や育児に費やす時間は、なんとか取れました。ただ、妻はもっと家庭に費やす時間を作って欲しいと思っていたかもしれませんが、当時の職場環境において最大限の努力をしていたと思います。

育休を振り返ってみて

最初のきっかけは、妻からの「育休取って」の一言でしたが、今となっては「育休を取らなかったら…」とは、考えられないくらい、人生の中でも充実した貴重な6か月間でした。子育ては体力的にも精神的にもしんどいことがたくさんありますが、夫婦でシェアして工夫して話し合って過ごせた時間は大きな財産だと言い切れます。

これから育休を取得する人へのメッセージ

僕からは、1つだけどうしてもお伝えしたいことがあります。

育休は出産直後から取得すること!

これまでのことを妻と話していると、出産直後が一番しんどかったと言っています。一番しんどい時期を助けられることになりますし、そうすることで、子育てに関する細かなことも、夫婦で足並みを揃えて取り組んで行くことが出来ます。自然分娩ですと出産日が流動的なので難しいのかもしれませんが、男性にも産休から育休の流れが出来ると良いと思っています。

価値観の変化

育休当時は、まさか2年後に自分が転職することになるとは想像もしていませんでした。

でも、僕のところにやってきた赤ちゃんは、そのぐらい大きな価値観の変化をさらりと僕にもたらしました。

今回の経験を生かして、これから赤ちゃんを迎えるパパやママとたくさんお話させていただいて、僕もさらに成長したいと思っています。

何かあれば、お気軽にお声掛けくださるとうれしいです。

以上、「アラフィフで初めての子育てのため育休を取得」りすパパさん(6ヶ月間取得)でした。

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