育休を取得した3つの理由
私が育休を取得した理由は以下の3つです。
①第一子出生時の反省
②過去の職場における男性育休取得者
③人生の1%くらいは家族のために
前回②「過去の職場における男性育休取得者の存在」の一人目としてアメリカ留学中に出会った「ケビンと3人の天使達」というタイトルで綴らせていただきました。
ただ、太平洋の向こう側の話ですので現実味がないとのご指摘もあるかと思います。そのため、今回は日本の職場で出会った育休取得者とのエピソードを記載していきます。
霞ヶ関のボス、育休を取る!?
霞ヶ関は不夜城とも言われ、国会期間中等は夜の12時を過ぎても煌々と明かりがつき、そこで働く者はお国のためという大義名分にかられ精神と肉体の限界まで働き続けます。私も働き始めた数日後に、(理由こそ分かりませんが)通勤途中に最寄りの駅で若手の職員が気を失って倒れているのをみて戦々恐々としたものです。
そんな環境ですから、若手を束ねる管理職は歴戦の強者です。1日3時間睡眠という過酷な環境で、一歩間違えれば日本国民に迷惑がかかるという耐え難いプレッシャーに耐え、精神も肉体も研ぎ澄まされた方々でした。そんな霞ヶ関のボスがなんと育休を取得!?
出向したけどボスがいない⁉︎
私が外様として一般企業から出向という形で霞ヶ関にで働かせていただくことになったのはもう10年近く前のことでした。当時は今ほど育休の必要性が叫ばれてはいなかったため、男性で育休を取得する方は今に比べてごく僅かだったと思います。上表からも今から10年前は男性の育休取得率が2%程度と、現在の7.48%と比較して低いことがわかります。
出向期限は2年間で、霞ヶ関の異動のタイミンングである7月でした。しかし、7月に着任すると職場は緩い雰囲気が漂っていました。何故ならボスがいなかったからです。
ボスも本来は7月のタイミングで異動するはずだったのですが異動のタイミングで育休を取得していました。確か2ヶ月程度だったと思います。そのため、私は意気揚々と新天地に出向したのですが上司がいない状態で肩透かしを喰らいました。
カルチャーショック〜中ボスは現代のバンカラ⁉︎〜
私が霞ヶ関に出向して初めて感じた民間との違いは、服装でした。私は民間企業からの出向でしたので服装についてはビシッとスーツにネクタイ、髪型も整髪剤をつけてきちんとした身嗜みを心がけていましたし、それは民間企業の常識だと思っていました。しかし、出向してみると皆さん自由な服装をしていました。
例えば、周囲を見回しても髪の毛が茶髪の方や寝癖がたったまま出勤する方、ネクタイはおろかジャケットも着ないでいいし、中には沖縄でもないのに“かりゆし“姿の方(沖縄では職場でも“かりゆし“で勤務することは一般的です)もいました。
特に、中ボス(課長補佐)の身嗜みは印象に残っています。出向初日に部内の各所に挨拶に行くのですが、中ボスは寝癖が立っているのは言わずもがな、廊下を歩いていると太もも辺りに肌色がチラチラしていました。どうやら、スーツのズボンがほつれて2cmくらいの穴が空いているようです。それを見た私は身嗜みに関する文化の違いに驚くとともに、少しホッとしました。仕事は徹底的にやるが、身嗜みは気にしないといったバンカラな気風が少し自分にはあっているかもしれないと感じたのです。
復帰したボス
ボスが不在の間は中ボスの指示のもとに働いていたのですが、職場の空気は中ボスの身嗜みと一緒で完全に緩くなっていました。そのため、気を張って出向したものの夜の8時には退社できるのでだいぶ気楽でした。
しかし、ボスが復帰すると職場の雰囲気は一気に緊張しました。まず初回のミーティングでボスへの業務報告があったのですが進捗が芳しくなく中ボスが喝を入れられていました。それを見た私は戦々恐々としてギアを2段回くらい上げて働かないと大変なことになると感じたものでした。そして、実際はギアを2段上げても大変なことになっていくのですが、それは育休とは関係のない話なので割愛させて戴きます。ただ、一つ言えるのは育休を取得しても能力の高い管理職は遅れを挽回可能です。
むしろ、育休中に個々のメンバーはボスがいないために仕事のオウナーシップの意識が高まったり、穴を埋めようと努力するため、ボスがいないほうが個々の課員の能力は引き上がるかもしれません。そこにボスが帰ってきて全力疾走が始まったので、遅れを挽回し、結果的には例年をアウトパファームすることができました。
出産後の在宅勤務
もう一つ出向中の育児に関するエピソードを記載します。
出向中に同僚のTさんにがお子さんが産まれ、その際に週に一度在宅勤務をするという取り組みが行われました。当時はまだ在宅勤務可能なシステムを導入している企業も少なく、携帯端末でメール確認くらいはできましたが、周囲にパソコンを持ち帰って在宅勤務をしている人は珍しい状況でした。
Tさんの週に一度の在宅勤務が始まると、私などは仕事が回るのか(そして、Tさんは真面目に仕事をするのか⁉︎)興味深々で見ていたのですが、業務内容も調整業務が少なく黙々と作業をするタイプの仕事だったので問題なく業務は回りました。こうした姿を見て、育児と在宅勤務は非常に相性がいいのだと学ばせていただきました。
出向を通じて学んだこと〜組織の強靭性〜
出向を通じて学んだことといえば、本当は霞ヶ関の業務で精神と肉体が鍛えられたとか、人脈ができたとかを書くのでしょうが、私は少し違いました。
私の場合は、霞ヶ関という組織の柔軟性を学びました。霞ヶ関は労働環境は過酷ですが、出産直後の育休取得や育児中の在宅勤務等、きちんと男性の育児に配慮した職場環境が作られていることを感じました。職員が精神も肉体もギリギリのところで働きながらも、育児に対する配慮を怠らないというバランス感覚に霞ヶ関という組織の真の柔軟性、つまり強靭性を見ました。
そして、霞ヶ関で起きている男性育児への配慮の取り組みに関する胎動を感じた私は、霞ヶ関で起きたことは民間でも起きるはずだと、今後の民間企業における男性の育休や在宅勤務の普及を確信しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回は育休を取得した理由の最終回ということで、「人生の1%は家族のために」と題して、熱い想いを込めて記事を執筆します。
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